日本一の芋煮会フェスティバル [食べ物]

「わがそでは しほいにみえぬ おきのいしの ひとこそしらね かわくもなし」(二條院讃岐)


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「私の袖は、潮が引いた時も見えない沖の石のように、人は知らないでしょうが、恋しさに流す涙で乾く暇もありません。」


源三位頼政の娘で、はじめ二条天皇に仕え、天皇の死後、後鳥羽上皇の中宮宜秋門院に仕えたのだそうです。

二条天皇に仕えていた頃、讃岐と呼ばれていたそうです。

平安末期の代表的女流歌人で、式子内親王と並んで有名なんだそうですよ。


この歌は、中宮宜秋門院の女房たちの間でも評判になり、それ以来、「沖の石の讃岐」と呼ばれるようになったのだそうです。

「讃岐さま、この海には石がないのでしょうか?」
「なぜ?」
「だって、潮が引いても石が見えてきませんもの。」
「そうね~、でも、沖の方の深い海の底には、きっと、隠れているのよ。人には見えない私の恋の思いのように・・・。」

ロマンチックな歌ですね~。[揺れるハート]







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高橋だんご [食べ物]

「なにはへの あしのかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや こひわたるべき」(皇嘉門院別当)


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「難波の入江に生えている芦の刈り取った根のひとふしではないが、ただ一夜の契りだったのに、命のある限り恋しく思い続けるのであろうか。」

崇徳天皇の皇后皇嘉門院に仕えた女官で、別当と呼ばれたそうです。
右大臣兼実の兼実家歌合に加わり活躍したのだそうです。
後に尼になったと伝えられているようです。生没年不明。

「旅の宿で出会った男の方との恋の歌・・・。」
「別当様には、あんな素敵な思い出がおありなの?」
「さぁ・・・、あまり遠い昔の事で、夢だったのか現実だったのか、自分でもわからなくなりましたねぇ~^^。」

この歌は、和歌の技巧を巧みに使った恋の歌なんだそうですよ。[黒ハート]




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また、こんにゃく番所。 [食べ物]

「なげけとて つきはものをおもわする かこちがほなるわがなみだかな」(西行法師)


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「なげけといって、月が物思いにさせるのか、いや、そうではあるまい。私が恋に悩むために月を見て涙が落ちるのである。それなのに、まるで月のせいだと、かこつけるように、こぼれる涙であるよ。」

出家する前の名前は、佐藤義清(のりきよ)です。
北面の武士として鳥羽上皇に仕えていましたが、二十三歳で出家しました。
仏道修行のため全国を旅をしながら和歌を作りました。
都から離れていても、優れた歌人として尊敬されていました。

西行が、佐藤義清と名乗り、北面の武士として、鳥羽上皇に仕えていた頃、密かに、憧れる人がいたのだそうです。[揺れるハート]
その人は、鳥羽上皇の中宮だったのだそうです。[ぴかぴか(新しい)]
「中宮さま、いくら思っても手の届かない人・・・。どうすれば、諦められるのか・・・。」
「そうだ!出家して旅に出よう!」
家族を捨て、出家して旅に出た西行。自分勝手過ぎると思いませんか?[ちっ(怒った顔)]
西行は、京都の嵯峨や吉野山に庵をむすんで暮らしながら、七三歳で他界するまで日本全国を旅して歩いたのだそうです。

それで、やっと、あの人のことが忘れられる・・・と思っても、月を眺めていると幻の中宮さまが現れ・・・。
「まだ、修行が足りぬか・・・。」 [もうやだ~(悲しい顔)]

年をとってから、その時の事を思い出して作った歌なのだそうです。

これって、中宮さまは知らない話のような気がするんですけど。
それなのに、人生が変わってしまった人がいるわけですよね。
まぁ、考え方次第では、だから、西行という素晴らしい歌人が生まれたと言えるんでしょうかねぇ。[ひらめき]


世捨人と和歌

百人一首を使ったゲームの中に、「坊主めくり」というのがありますが、絵札に僧(坊主)の姿で描かれている歌人は十人だそうです。

このうち、正式に僧になる修行をし、僧侶として高い地位に上ったのは、前大僧正行尊と前大僧正慈円で、二人とも天台座主になっているのだそうです。

その他の僧達は、何かの理由でそれまでの仕事を捨てて出家した人たちで、そういう人たちは、世捨人と呼ばれたのだそうです。
その代表的な人が、西行法師なのだそうです。
ちなみに、能因法師も、二十六歳頃、恋人の死を悲しんで出家したのだそうです。

絵札には、公卿の姿で登場していても、藤原定頼、源兼昌、藤原俊成、藤原公経、藤原家隆のように、年をとってから出家した人もいるそうです。
また、女性の中にも、和泉式部、式子内親王のように出家して尼になった人もいるそうです。





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芋煮会 [食べ物]

山形の秋の風物詩といえば、芋煮会![わーい(嬉しい顔)][手(チョキ)]

芋煮会の発祥地は、中山町と言われています。[ひらめき]
江戸時代、北前船で酒田と京都・大阪を行き来していて、酒田から内陸に最上川の舟運が盛んだった時、終点が中山町だったのだそうです。
そこから、米沢方面への船荷の積み替えのため、船頭さんや商人さん達が荷揚げや荷待ちの時、運ばれてきた棒鱈と船着き場の近くの小塩という里芋の名産地の里芋を、川岸にある松の枝に鍋を掛けて食べたのが芋煮の始まりなのだそうです。

私が小学生の時は、河原で芋煮会をする行事がありました。
通学班で、リヤカーに材料を乗せ運んで行きましたっけ。[ダッシュ(走り出すさま)]
その頃は、稲を天日干しする時に使う稲杭(いなぐい)を三脚にして、それに、囲炉裏で鍋などを吊す自在鉤(じざいかぎ)を設置して作っていました。
娘達が小学生の頃は、もう、芋煮会行事はやっていませんでしたね。
でも、中学の学級行事で親子でやったこともありました。

この時期になると、河原で芋煮をやるグループが沢山います。[ハートたち(複数ハート)]
もちろん、家々では、「今日は、芋煮!」という日が多くなりますよ。
そして、県外の来客があれば、いち早く思いつくのが芋煮!というくらいなんです。

先週、久しぶりに、河原で芋煮会をやりました。[わーい(嬉しい顔)]
県外の親戚が遊びに来たのです。
この時期なので、本場の芋煮会を食べてもらいたくて。雰囲気を味わってもらいたくて。お・も・て・な・し。[黒ハート]

中山町長崎にある、最上川中山緑地せせらぎ公園で行いました。
前日、どの辺の場所がいいか決めて来て、早朝に場所取りに行ったら・・・ガ~~~ン。[がく~(落胆した顔)]
もう、テントを張ったり、テープで囲んだりされていたんです。
そこで、長崎橋の下の角の場所があったので、急いでそこにシートを敷いて一旦家に帰って来ました。[あせあせ(飛び散る汗)]

二人の妹家族も一緒にやったんです。
義弟の甥っ子が、今年度から山形大学に在学し始めたので、山形の芋煮会を体験してもらいたくて声をかけてみました。「行きます。」と。可愛いこと![るんるん]

総勢十六人で、芋煮会![わーい(嬉しい顔)]

スーパーヤマザワで、無料の鍋、シート等の用具一式を借りてきました。便利なんですよ~!ありがたいです!


こんな感じから始まりました。長崎橋の下なんですよ。


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薪を燃やしました。ブロックで所々に炉が設置されているんです。


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薪も、こんなふうに売られているんです。
父母が、薪を用意してくれたので、一袋だけ買って用意しました。


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まずは、鍋を置いて。


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アグリランドから買って来た山形牛肉。
えっ?山形と言えば、米沢牛でしょ~!って?そんな、そんな、お高くて買えません。[たらーっ(汗)]
そこは、JAさんが運営していて、お安くて間違いないと同僚から教えてもらい買って来ました。
1パック千円也~!8パック購入。[決定]
芋煮は、脂身がないと美味しくないんですよねぇ。


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牛肉を入れました。


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次は、お酒。


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次は、醤油。


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牛肉に火を通しました。


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次に、砂糖を入れました。


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おっ!料理なんてしない父親が、おたまを持ってる!


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火が通ったかな。


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一旦、別鍋に牛肉を取り出しました。火が通り過ぎないように。


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次に、その鍋に里芋を入れました。


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水を投入。


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まずは、これで煮立たせました。


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蓋をして。スーパーヤマザワ、中山町店!


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このかまども借りてきました。
実は、里芋が苦手な人が二人。[ふらふら]
そこで、この鍋には、里芋を少なめに入れ、そこにジャガイモを用意していきました!
それに、前回の記事に載せた道の駅いいでの芋煮に大根が入っていたので、それも用意していったんですよ!あり?アハハ!


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材料は、家で切って行ったのですが、こんにゃくは、子供達に手でちぎらせました。
芋煮のこんにゃくは、手でちぎります。その方が、味が染みるんです。


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ささがきゴボウを入れました。


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アウトドア派の義弟、椅子、テーブル、テントなどの他に、七輪を持ってきてくれました。
家にちょうどあったイカとホヤを持ってきてくれ焼いてくれました。


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煮たってきましたぁ!


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そこで、きのこを入れました。
我が家では、しめじを入れるのですが、舞茸が美味しいと義弟。


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エノキも入れようと妹。
大学生のお兄ちゃん、入れてくれました。


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次に、ネギを入れました。


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ネギがシナ~となったら、できあがり!
食べる時、刻みネギや七味をかけて食べても美味しいですよ~!
まずは、できた芋煮を食べました。


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キムチを乗せて食べても美味しいよと。ヘェ~。


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サンマも七輪で焼きました。


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塩を振りかけ、食べました。美味しかったぁ~!


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食べ終わったら、少し、休憩。


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子供達は、マシュマロを焼き始めました。


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自分で焼いて、楽しいよねぇ。


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こんなふうになっちゃった!


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ウインナーを串に刺して、またまた、焼いて食べました。


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それで、終わりではなかったんですよねぇ。
また、薪を燃やし始めました。


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先ほど、芋煮を食べた残り。そこに、玉うどん投入。
この時も、妹が、冷凍讃岐うどんがいいと言うことだったので、それを買いました。
冷凍なので、その上にペットボトルを乗せて置いたら、冷たさ維持。なるほど![ひらめき]


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玉うどんを入れて、そのまま食べてもいいんですけど、今回は、カレールーも入れてみました。


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ルーが溶けました。


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煮たってきたら、先ほど残しておいたネギを入れて。


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芋煮カレーうどんのできあがり!
お腹いっぱいになっていたけど、半ば強制的に食べてもらいました!アハハ!


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それから、ヤマザワに、アイスクリーム、ペットボトル飲料を買いに行ってきました。[車(セダン)]
その間、綺麗に片付けてくれてましたぁ!ありがとう!
人数が多いと、みんなで片付ければ、あっという間なんですよねぇ。[わーい(嬉しい顔)][手(チョキ)]


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それから、みんなで集合写真を撮りました。[カメラ]
長崎橋の向こうでは、グライダーが飛んでました。


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それから、我が家に来てもらい、休憩。[かわいい]
県外から来た親戚は、それから、宮城県の宿泊ホテルに向かいました。[車(セダン)]

そこで、終わらないのです~!

借りてきた鍋など用具一式をその日のうちに返す事になっていたので、まずは、鍋のすす落とし~!
使う前にクレンザーを塗っておくと簡単にとれるんですよね。忘れてました。[ふらふら]

でも、力で落としました!アハハ![わーい(嬉しい顔)]

それから、ヤマザワサービスカウンターに持って行き終了。[決定]

人数が多くて大変だったけど、その分、和気あいあいと過ごした時間は、「楽しかった思い出」として残ります。[ぴかぴか(新しい)]

十数年前、県外の従兄弟家族が来た時もやったんでした。
そのことを、今でも、思い出して話すと両親から聞いていたんです。
それじゃぁ、今回もやろうか!と提案。みんな、乗ってくれました!
甥っ子、姪っ子たちも、いつまでも、楽しかった思い出として覚えてくれてるといいな。[揺れるハート]

ここは、内陸地方なので、牛肉、醤油味ですが、庄内地方では、豚肉、味噌味です。それも、美味しいです!



















































































さくらんぼカレー [食べ物]

「ながらへば またこのごろや しのばれむ うしとみしよぞ いまはこひしき」(藤原清輔朝臣)


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「この先、生きながらえるなら、再びこの頃が懐かしくしのばれるだろう。辛く苦しいと思った頃のことが、今では恋しく思えるのだから。」


藤原顕輔(あきすけ)の子で、六条家の有力な歌人でしたが、父親とは仲が悪かったらしく、官職も正四位下太皇太后宮大進どまりだったそうです。[ふらふら]
でも、二条天皇の信頼があつかった歌学者だったそうです。[わーい(嬉しい顔)]

誰でも、相性が合う人、合わない人がいますよね。
合わない人は、自分を成長させてくれる感謝すべき人!・・・らしいですヨッ![ひらめき]

辛く苦しい現実に対して、慰めを見出そうとして詠んだ歌のようです。

大納言藤原実房(さねふさ)が若い頃、なかなか昇進できないで嘆いているのを見て、清輔が慰めた歌だとも言われているそうです。






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こんにゃく番所 [食べ物]

「よのなかよ みちこそなけれ おもひいる やまのおくにも しかぞなくなる」(皇太后宮大夫俊成)


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「この世の中よ、どこにも憂きことを避ける道はないのだ。山の奥に逃れようと思って入ってきたが、この山の奥にも憂きことがあるのか、鹿も悲しげに鳴いている。」


藤原俊成は、道長のひ孫にあたり、定家の父親です。
皇太后宮の長官を務めていたのですが、六十三歳で出家したのだそうです。

御子左家(みこひだりけ)という流派を作り、寂蓮・定家らをひきいて、中世和歌の理想である幽玄の美を追究したのだそうです。


俊成が若い頃、京の町には奈良の興福寺の僧兵や比叡山延暦寺の山法師が暴れ込み、朝廷に無理な要求を突きつけるなど、世の中は酷く乱れていたのだそうです。

「あぁ、こんな世の中から逃れて暮らすことは出来ないものか・・・。」[もうやだ~(悲しい顔)]

俊成より四つ年下で、和歌の才能に優れていたという、名前を西行と名前を変えて行き先も告げずに旅に出たという佐藤義清(さとうのりきよ)の出家は、俊成にとって、大きなショックだったようです。

「私には、彼のように妻子を捨てて出家する勇気はない・・・。私は、歌を作って生きていくしかないのか・・・。」

その時作った歌は、述懐百首の中の一首として「千載集」に載っているそうです。
これは、二七歳の時の歌なんだそうですよ。






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雪結晶パスタ [食べ物]

3月も中旬になろうとしています。[ぴかぴか(新しい)]
早春で、もう、花が咲いているところもあるようですね。[かわいい]
こちらも、春めいては来ているのですが、まだ、路肩や日陰部分には、残雪がありますよ。[雪]

前回のコメントで、いろいろあって、パソコンを開いていないと言い訳コメントをしたあゆさこです。[ふらふら]
でも、雪結晶パスタを買って、料理した物を載せるといいながら、雪が消えてしまってからでは、時期が過ぎちゃうわけで、どーしても、それが許せないあゆさこ。[パンチ]


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思ったからには、行動を起こさねば!と、夕食に作ってみました。[ひらめき]

雪結晶パスタ!
発芽米と赤米は、ゆで時間が9分だったので一緒に茹でちゃった!
だって、家族4人なのに量が少ないんですもん。[あせあせ(飛び散る汗)]


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アップ!確かに、雪の結晶ですね。
でも、丁寧に扱わないと、形が崩れちゃうのもありますね。
それに、食べるのにフォークじゃなくてスプーンで食べちゃった!
パスタは、クルクル巻いて食べるのがいいかな。あゆさこはね。話の種にはいいわよね。[ひらめき]


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サラダの上に飾ってみました。[ハートたち(複数ハート)]
そば粉のパスタは、ゆで時間が8分だったんです。
これは、細かいところも崩れにくかったな。食感が、他の二個と違いました。
レタスよりキャベツの方が載せるには良いなと思い、後は、おひな様を飾った時に、ちらし寿司に使おうと思って買っていた材料をトッピングしてみました。(おひな様、どうしても、飾る時間がなかったので、旧暦で飾ることにしたもので・・・エヘッ!山形は、その方が、時期的に丁度なんですよ・・・と良いように解釈。アハハ!)


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あ~、そういえば、バラのふりかけも・・・でも、パスタなんだよねぇ・・・じゃぁ、サラダにふりかけてみる?・・・ということで、彩りに![かわいい]


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アップ!あっ、ちらし寿司に、キュウイは乗せないですよ。たまたま、あったからです。[たらーっ(汗)]
時間が経つと、花びらが水分で開くかな・・・と、期待してふりかけてみました。この程度でしたけど。[かわいい]


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スープにも、そば粉パスタを使用。なんか、可愛いかも~。ねっ![揺れるハート]


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娘達に、雪結晶パスタで作ったぁ~!と写メを送ったんです。[カメラ]
そうしたら、次女に・・・全部に使ってる・・・あり得ないと。[たらーっ(汗)]
お母さんは、ブログのために作ったんだぁ~!
でも、確かに、全部にじゃぁ・・・ねぇ・・・。[ふらふら]
しか~し、文句を言わずに、両親もこん太くんも、食べてくれたもん。ありがと![わーい(嬉しい顔)]

これで、ブログ更新できるぞと、パソコンを開き、前回の記事を読み返したら、バラのジャムもあるじゃ~ん。忘れてた。


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それで、こん太く~ん、食べる~?と、いかにも、バラのジャムをつけたパンを食べさせたいの~のふりをして、作って部屋にいるこん太くんに、どーぞ!と。普通、朝食で出すのでしょうが、急いでいるんですもん。[あせあせ(飛び散る汗)]
でも、その前に、写真を撮らせていただきました!アハハ!


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花びらを広げてみましたよ。意外に、大きいままで入っていました。[かわいい]
バラのジャムって、こんな感じなんでしょうね。初めて、買って食べてみました。


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ホ~ッ、肩の荷が下りた心境です。大げさ~!アハハ!
後は、いつ雪が消えても大丈夫ですよ~ん。
みなさまの所は、もう、雪の跡形もないかもしれませんね。遅すぎ~~~![パンチ][あせあせ(飛び散る汗)]


近くに住んでいる妹と姪っ子でイオンに行ったときのこと。
突然、10歳以下のお子さんたちの、じゃんけん大会を始めま~す!
その相手が、山形のゆるキャラ、ペロリン![わーい(嬉しい顔)]
でも、どうやってじゃんけんを?と思いましたら、ペロリンの気持ちがわかるという代理人が相手だったんです!だよねぇ~!アハハ!
みんな、じゃんけんで勝てて景品をいただけました。もちろん、6歳の姪っ子もやりましたよ!


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昨日は、近くに住んでいる妹宅に泊まりに行ってきたんです。[家]
義弟が、天童温泉に泊まりだったんです。[いい気分(温泉)]
それで、両親を泊めたら?と、義弟が言ってくれたそうで、そのように話が決まっていたんです。

そうしたら、こん太くんが、仙台に出張で、泊まりだとのこと![車(セダン)]
そこで、急遽、あゆさこも泊めてもらいました。

両親と姪っ子が寝静まってから、ほんと、久しぶりに、妹と話したいだけいっぱい話しました![わーい(嬉しい顔)]
リビングで話し~、布団に入っても話し~、小さい頃の話までしちゃって。[ひらめき]
なかなか、小さい姪っ子がいると、近くに住んでいるとは言ってもなかなか十分には話は出来ませんものね。
姉妹って、良いものですよ~![揺れるハート]

今朝は、10時に帰って来ました。[車(セダン)]
というのも、妹が、もう一人の妹からスーツを借りるため、義弟を天童温泉で拾って親子で出かけたんです。
酒田市に住んでいるので、車で二時間ちょっとかかります。
なぜ、スーツか。
姪っ子が、幼稚園を卒園、そして、小学校に入学するので、着る機会がそんなにないので、わざわざ、購入しないで借りるというわけです。[ひらめき]
こういう時も、姉妹は良いですよ!
私が持ってるスーツを着てみたら、大きかったの。[がく~(落胆した顔)]
昔は、貸し借りしていたのに、今は・・・妹が、痩せてるからです!そうそう!
それもあるけど・・・あゆさこ、ダイエット!せい~!・・・あ~、聞こえてくる・・・そのお言葉・・・ハァ~・・・。[もうやだ~(悲しい顔)]

予定より早めに帰って来たので、時間が出来たんです。
そこで、娘達の部屋の断捨離!しました。まだまだ、物のあること!あること!すっきりさせるなんて、当分無理かも~。[ふらふら]
娘達が巣立ってから、ほとんど、そのままなんです。
みなさんは、教科書ってどうしているんでしょう。娘達は、もう、いらないというんです。
でも、娘達が使った教科書だと思うと・・・そんなふうだから、物が増えるんですよね。[ふらふら]

着なくなった服も、これは、あの時着たのよねぇ~なぁんて思い出を振り返ってしまいます。
でも、先日、だいぶ、捨てましたよ。いや、少しかな。[たらーっ(汗)]
断捨離って、なかなか、大変です。こういう事もしているので、パソコンを開く時間がないなんて言ってる理由の一つなんですけどね。
お掃除、大好き!っていう人の爪の垢でも煎じて飲まなくてはならないみたい![パンチ]

今回、どうにか、記事更新できました![わーい(嬉しい顔)]
でも、なかなか、訪問できずにいるあゆさこです。すみません。
時間がある時、順を追って、訪問させてもらうつもりで一応いるんですよ。[たらーっ(汗)]
スロー、スロー、ブログ、あゆさこ日和。スロー、スロー、ブログ、あゆさこ日和。[るんるん]











毎年、恒例なんです。 [食べ物]

「ながからむ こころもしらず くろかみの みだれてけさは ものをこそおもへ」(待賢門院堀川)


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「末長く変わらないお心かどうかわからないので、寝乱れた黒髪のように、私の心は乱れて、今朝は苦しい物思いに沈んでおります。」


神祇伯源顕仲(じんぎはくみなもとのあきなか)の娘で、平安時代後期の女流歌人で、崇徳・後白河両天皇の母の待賢門院璋子につかえたのだそうです。

璋子が出家した時、尼になったんだそうです。

西行法師と親しく、歌のやりとりを行っていたそうです。


待賢門院堀川には、かたく将来を誓いあった恋人がいたんだそうです。[揺れるハート]

その人は、いつまでも愛し続けると言っていたのですが、人の心がいつまでも変わらないでいるものか不安になった気持ちを歌に詠んだようです。


昔の事になりますが、娘たちを車に乗せながら私が好きな音楽を流しているうちに、小学生の次女が歌うようになっていったんでした。[るんるん]
その中に、チューリップの「虹とスニーカーの頃」という歌の中の歌詞で、「♪・・・わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪・・・♪」とあるんです。
ある日、小学生の次女が、「男のわがままを許さない女の人が罪だなんて、おかしいよね!」と言った時は、笑ったわぁ~~~![わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]

ふと、思い出してしまいました。アハハ![ひらめき]






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近況報告会 [食べ物]

「あはぢしま かよふちどりの なくこゑに いくよめざめぬ すまのせきもり」(源 兼昌)


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「淡路島に往き来する千鳥の鳴き声のために、幾晩目を覚まして眠れぬ夜を過ごしたことか、須磨の関守は。」


源 兼昌は、宇多天皇の子孫の美濃守、源 俊輔の次男だそうです。

従五位下皇后宮大進に進んだ後、出家したのだそうです。

歌合わせに、たびたび出席していますが、歌人として、そんなに知られていないんだそうです。


この歌は、作者が須磨の海岸に行って詠んだ歌ではないんだそうです。

須磨は、源氏物語の主人公の光源氏が、都での政治の争いの波から逃れ、移り住んだ場所なんだそうです。

兼昌は、そのことを思い浮かべながら、光源氏の気持ちになってこの歌を詠んだのでしょう。[ぴかぴか(新しい)]


久しぶりの百人一首です。[かわいい]
二箱の方言カルタを経て、次に何をしようか…その時、目に入ったのが、小学生だった娘に買い与えたのに興味を示してもらえず、ず~~~~~っと、本棚で眠っていた百人一首の解説本。
あゆさこ母さんが、ブログでフル活用させてもらっているわけです。

が・・・、長すぎる記事の時には、おやすみZzzz...。[眠い(睡眠)]
現在、78首目!あと、22首、おつきあいくださいね。(来年までかかるのは確実。三年越しの百人一首になってしまいます。)
スローすぎるあゆさこのブログ。[ふらふら]
でも、長く続けるには、マイペースでいきま~~~す![決定]







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間沢の玉貴 [食べ物]

暑い毎日ですねぇ。[晴れ]
暑さに負けないで過ごしていらっしゃいますか?

さてさて、昨日、いつもの幼なじみ三人で、月山がある西川町間沢の、清流・庭園・山菜料理の「玉貴」に行って来ました。[車(セダン)]

家を10時半に出発したのですが、正午の予約なのに11時過ぎには到着しちゃって。[たらーっ(汗)]

そこで、近くの、道の駅にしかわで、買い物。
意外に、近かったのね。むか~し、一度行ったくらいだったんですもの。[ひらめき]

門を入ると、こんな感じです。今は、七夕飾りの時期なんです。[ぴかぴか(新しい)]


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こちらからも、玄関に行けるのですが・・・


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中門を通って、庭園・清流を・・・


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手入れの行きとどいた庭園でした。


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寒河江(さがえ)川の清流、涼しげな景観


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庭園と寒河江川を眺めながら・・・


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通ってきた所をパチッ![カメラ]


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では、入ります。板塀には、花笠![かわいい]


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これ、何だと思います?


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石の金庫なんですって!


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「いらっしゃいませ!」・・・「お願いします。」


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縁側には、七夕飾りがずらり。
短冊に、願い事を書いてみてくださいとのことでした。[ぴかぴか(新しい)]


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眺めがいいわぁ~!


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茅の輪がありました。


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なになに?・・・この歌を唱えながら、茅の輪を八の字で回る・・・やりましたよ。でも、すぐ、覚えられないじゃない!だから、見ながらでしたけど。[ふらふら]


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短冊には、「家内安全」と。[ぴかぴか(新しい)]


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それから、部屋に案内され、食事しながらおしゃべり開始![わーい(嬉しい顔)]

お品書き


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箸袋も素敵でした。四季折々。


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彦星、織姫が描かれていました。器も素敵!


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スイカの器にお刺身。あはは!


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寒河江川で採れた鮎なんでしょうねぇ。


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月山竹ですね。


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きなこの草餅。臼の形の器でした。


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サクサク、美味しい!
天ぷらって、家族分大量に揚げてると油が頭にあがりますよね。それで、食べなくてもよくなるのよねぇ。[あせあせ(飛び散る汗)]


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七茸汁といれか汁のどちらかを選べるとのことでしたので、三人とも、七茸汁にしました。


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山形県の鳥は、おしどりです。[黒ハート]


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最後に、豆乳ババロアでした。


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開運金平糖をいただいて・・・ごちそうさま![わーい(嬉しい顔)]


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早春は、ひな祭りで、雛膳なんですよね。[かわいい]


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いろんな展示物がありました。
まさか、パチパチ撮ってられないので、会計時にちょっとね。[カメラ]


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山形にも、舞妓さんがいるんですよ。[揺れるハート]


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それから、松月というお店に立ち寄りました。
クルミがたっぷり入って美味しいという評判の羊羹と最中があるんです。[グッド(上向き矢印)]

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最中は、こんな感じ。


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それから、寒河江市にある慈恩寺に行きました。[ぴかぴか(新しい)]
昨年も、秘仏のご開帳だったのですが、今年もでした。
慈恩寺には、沢山の秘仏があるんだそうです。

http://blog.so-net.ne.jp/akilight/2013-06-10

秘仏ご開帳は、今日までだったのです。
だからか、昨日は、近くの駐車場に行けなくて、山の麓の駐車場に停めました。
頂上まで、坂道を登ったんです・・・息切れが・・・。[パンチ]


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それから、ファミレスでお茶。[喫茶店]
女三人集まれば、何とやら!楽しかったぁ![るんるん]

今度は、来月、お盆過ぎに、羽黒山にある出羽三山の開祖、蜂子皇子の御尊像を観に行くことにしました。[車(セダン)]
初公開なんだそうです。[ぴかぴか(新しい)]

今年は、午年ご縁年の年。昨年、こん太くんと登った時から宣伝されてました。
それに、山形は、デスティネーションキャンペーン期間中です![わーい(嬉しい顔)][手(チョキ)]

みなさま~!山形さ、観光に来てけろ!・・・ねっ!旅爺さんさ~ん![ひらめき]




山形庄内地方にある「加茂水族館」が、リニューアルオープンしました![かわいい]
村上館長さんのアイデアで、世界一のクラゲの種類の多い水族館になったんだそうです。

母が、先日、近所の人達と行って来ました。
そのお土産が・・・


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クラゲの入ったおまんじゅう!


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こん太くんが、東京に出張で買って来てくれたお菓子なんですけど・・・あゆさこに、協力してくれてるのかしら?


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乾麺をいただきました。
山形って、冷たいのがお好き?


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今回は、長くなってしまったので、百人一首、名言・座右の銘は、お休みします。
























































これが、きっかけになりました!あはっ! [食べ物]

 「わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもゐにまがふ おきつしらなみ」(法性寺入道前関白太政大臣)


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 「海原に舟をこぎ出してみると、海と空が一つになって見分けのつかない沖合の白波のおもしろさよ」


 法性寺入道前関白太政大臣は、藤原忠通のこと。

 二十五歳で関白となり、関白を三度、太政大臣を二度、摂政を三度つとめたそうです。

 保元の乱で、弟頼長を倒した後、法性寺に隠居したのだそうです。[たらーっ(汗)]


 崇徳上皇が天皇だった保延元年四月、内裏の歌合わせにおいて、「海上遠望」という題で詠んだ歌だそうです。

 まるで漢詩のような題だったので、漢詩が得意な忠通は、「やったぁ~!」だったかもですって![わーい(嬉しい顔)][手(チョキ)]

 のびのびとして、スケールの大きい「叙景歌」だということですね。[ぴかぴか(新しい)]





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タイトル・・・どうしましょ?(^0^;) [食べ物]

 12月も、中旬になろうとしています。[あせあせ(飛び散る汗)]

 12月は、師走! みなさんも、やることが沢山あって忙しくされていることでしょう!
 ブログ更新出来ないのに、写真だけは増えていく・・・。(^_^;
 今回のタイトルで、わかってくださいますかぁ? 
 もーっ、まとめて更新しちゃいます![わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]

 こちらでは、りんご。


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 なのに、あゆさこ家に、みかんちゃんが![黒ハート]
 母が、観賞用に買ってきたんですけど・・・これって、食べられるの?酸っぱいのかなぁ・・・。
 みかんちゃん、仲間としてどうなの?[わーい(嬉しい顔)][揺れるハート]


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 先日、こん太くんの姪っ子の結婚式があったのですが、抽選会があったんです。

 若い友人や同僚の方もいたというのに、遠慮すべきあゆさこ叔母さんが、3位になっちゃって・・・いただくこになってしまいました。


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 なんと、次にこん太くんが、2位になっちゃって・・・なんと、なるべく、目立たないでいなければならない叔父、伯母夫婦でいただいてしまいました。
 本気で、恐縮しちゃったんですけど・・・。[ふらふら]
 

 
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 ちなみに、1位は、米沢牛でしたの~!
 それは、新郎の親戚の方だったわん。
 友人、同僚の方~、ごめんなさいね。[たらーっ(汗)]

 今度は、私の従姉妹の結婚式の引き出物の中に、デニッシュがあったんです。
 珍しいわぁ。初めてです。
 切ってみてびっくり!三色で、めでたい![かわいい]


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 先日、同業者のボウリング大会がありました。
 初めて行ったところだったのですが、これが普段ね。


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 急に、ライトが点灯して、レーンの周りも、流れるイルミネーション![ぴかぴか(新しい)]
 その間、ストライクになると、スタッフが持ってるかごの中から、賞品が選べるの!
 ちょうど、同僚がストライク! インスタントラーメン、選んでたぁ~!


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 その後、懇親会があったのですが、テーブルごとのグループでゲームをやったのですが、なんと、2位になりみんなネックレスをいただきました。[ハートたち(複数ハート)]

 その後、じゃんけん大会が行われ、私、3位になっていただいたのが、ピアスでしたの。[ぴかぴか(新しい)]

 若い子向きなので、次女に写メを送って「いる?」と言ったら、「もらってあげる。」ですって! 
 おいおい、誰に似たの?こん太く~ん。


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 妹と姪っ子とイオンに行ったら、アンパンマンがいました!
 

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 山形の「でん六」、「でんでんでん六豆、うまい豆!・・・♪  いつも思うのですが、何者?[るんるん][るんるん]


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 以前、県民ショーで、山形では、げそ天がのってるラーメンを食べる!と、紹介されたのですが、県民であるあゆさこ、食べたことがなかったのです。[たらーっ(汗)]

 食べたことがある人の方が、少ないと思いますよ。[バッド(下向き矢印)]

 妹と姪っ子から、連れて行ってもらいました。[車(セダン)]

 「有頂天」というラーメン屋さん。


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 普通のラーメン屋さんだと思ったら・・・


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 なんか、ラーメン屋さんにしては建物が大きいんですけど・・・


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 なんと、大の目温泉の中にあるラーメン屋さんだったんです。


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 メニューねぇ。


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 ほんと、温泉がある。[いい気分(温泉)]


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 奥に暖簾がありましたわ。
 そこをくぐると・・・唖然。広~い、お座敷に、テーブルが沢山置いてあり、沢山の人がいました。


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 これが、げそ天ラーメンです。


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 げそ天、アップ!


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 そばにげそ天は食べたことがありましたが、ラーメンにげそ天・・・そうかぁ。


 もうすぐ、クリスマスがやってきますね!


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 長女が、桜島に行って来て、そこから、祖父母に、桜島焼きの湯飲み茶碗を送ってくれました。

 桜島焼きは、火山灰や鉄分豊富な温泉水、敷地内で採れる草木など、桜島の自然原料を使い高温で焼き上げてるのだそうです。


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 幼なじみと、秋に湯殿山に行く予定だったのですが、なかなか、時間が取れず(あゆさこがなんですけどね。)、来年に延びちゃた!


 でも、毎年恒例の食事会は実行![わーい(嬉しい顔)]


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 幼なじみの知人夫婦が営んでる「ボンシュール」に行って来ました。[レストラン]


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 クリスマス会なのでしょうか、今から行われるので、時間を気にしないでゆっくりしていってください・・・と言ってもらえました。


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 女性3人集まれば、話は尽きません![わーい(嬉しい顔)]


 いつもは、食事よりもおしゃべりに重点を置いているので、ファミレスで集合と言うことが多いのですが、今回は、美味しいディナーで4時間、めいっぱい話しちゃってました。[かわいい]


 今は、クリスマスディナーもやっているけど、これでも、十分お腹がいっぱいになると教えてくれた通り、もう、満足でした!

 元、ホテルのシェフをされてたご主人様の料理、美味しかったですよ~ん。[レストラン][揺れるハート]


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 今度は、来年、西川町にある山菜料理「玉貴」に行こう!と、約束してバイバ~イ!でしたの。[わーい(嬉しい顔)][手(チョキ)]

 今回は、まぜこぜ記事になっちゃいました。
 これでも、減らしたんですよ。[たらーっ(汗)]
 
 なかなか、訪問できないあゆさこ、許してくださいね。[ひらめき]

 














 

さくらんぼ [食べ物]

 「ゆふされば かどたのいなば おとづれて あしのまろやに あきかぜぞふく」(大納言経信)


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 「夕方になると家の門前にある田の稲葉に、そよそよと音を立てて、芦葺きの小屋に秋風が吹いてくるよ。」


 源経信は、蔵人頭・参議から大納言に進んだそうです。

 大宰権帥(だざいごんのそち)として九州に行き、その地で他界したそうです。

 和歌・漢詩・琵琶にも優れていた政治家だったそうです。


 「藤原師賢(ふじわらもろかた)の梅津の山里に行って、田舎家に吹く秋風を詠んだ歌」という詞書が付いているそうです。

 「門田」は家の前の田んぼ、「まろや」は芦などでふいた粗末な家を言うそうです。

 さわやかな秋風が、耳に聞こえ、肌に直に感じられるような新鮮な歌なんだそうですよ!


 久しぶりの「百人一首」でした! アハッ![わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]








 

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昆虫・・・ねぇ。 [食べ物]

 「あらしふく みむろのやまの もみぢばは たつたのかはの にしきなりけり」(能因法師)


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 「嵐が吹く三室の山のもみぢ葉は、竜田川の水面いっぱいに浮かんで流れていく様子は、ちょうど錦織のように美しいなぁ~。」[ぴかぴか(新しい)]


 平安時代末期の歌人で、遠江守橘忠望(とうとうみのかみ たちばなのただもち)の子なのだそうです。

 30才の頃、恋人に死なれた悲しみで出家したと言われているそうで、いろいろな国を旅をして回ったのだそうです。


 永承四年、内裏の歌合のために詠んだ歌で、三室の山(三室山)も竜田の川も歌枕で、どちらも紅葉の名所として知られているそうです。


 これは、歌合の歌ですから、実際の景色を詠んだものではなく、川面を流れる紅葉を錦に見立てた華やかな歌といえるようです。






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おやつ [食べ物]

 「もろともに あはれとおもへ やまざくら はなよりほかに しるひともなし」(前大僧正行尊)


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 「懐かしく思ってくれ、山桜よ。こんな山奥へ来たらお前より他に私の心の寂しさをわかってくれる者はいないのだから。」


 参議源基平の子で、10歳で父を亡くし、12歳で出家し、17歳の時寺を出て様々な国を修行して歩いたのだそうです。

 大僧正まで上りつめた人で、加持祈祷に優れ、白河・鳥羽・崇徳天皇から信頼されていたそうです。[ぴかぴか(新しい)]


 こんな感じ・・・

 行尊(ぎょうそん)は若い頃、三井寺(みいでら)(大津市)に入り、天台宗の僧として修行していました。

 「これしきで、ねをあげてどうする!大峰山(おおみねさん)で鍛え直してこい!」[パンチ]

 そう言われて、寺を出ました・・・。

 吉野(奈良県)の奥の大峰山は、修験者(山伏)が修行する霊場として有名なところなんだそうです。[ぴかぴか(新しい)]

 そんな山奥で咲いていた山桜を見つけて、思わず山桜の花に歌で語りかけてできた歌なのですね。[かわいい]






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百味ビーンズ [食べ物]

 「あさぼらけ うぢのかわぎり たえだえに あらはれわたる せぜのあじろぎ」(権中納言定頼)


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 「夜明け方、宇治川に立ちこめていた川霧が切れ切れになっていく、その絶え間から瀬ごとに立っている網代木が段々あらわれてくるその風景のおもしろさよ。」


 大納言藤原公任の子で、和歌と書道に優れていたそうです。

 小式部内侍をからかい、「大江山」の歌でやり返されるなど、エピソードの多い人のようです。[パンチ]

http://blog.so-net.ne.jp/akilight/2013-02-03

 権中納言までなりましたが、病気で職を退き、その後、出家したそうです。


 冬の宇治川の夜明けの景色を、実際に見て詠んだ歌なのだそうです。[ひらめき]

 宇治川は、琵琶湖から流れ出る瀬田川が、京都府の宇治を通るとき、宇治川と呼ばれるんだそうです。

 この歌は、平安時代には数少ない新鮮な叙景歌のようです。


 物語がないようなので・・・和歌から始まる恋愛・結婚~!のことが載ってましたぁ。[黒ハート]

 平安時代の貴族は、和歌を作られなければ恋愛も結婚もできませんでした。

 この時代の貴族の女性は、屋敷の中にいるときも、几帳や御簾の陰に身を隠し、外出するときも牛車に乗っていたので、男性は顔を見ることができませんでした。[もうやだ~(悲しい顔)]

 そこで、男性達は、屋敷の垣根の間や御簾の隙間から「垣間見」のチャンスをうかがっていたのです。[目]

 また、人のうわさはなしを耳にしたり、琴の演奏を立ち聞きしたりすることで、その姫君に憧れたわけです。

 しかし、逢うのは簡単ではなかったわけです。[たらーっ(汗)]

 まず、姫君の兄弟や身内に者と親しくなったり、侍女(女房)を手なづけしたりしたうえで、手紙を送りました。

 手紙には、必ず、和歌をそなえなくてはなりませんでした。[ハートたち(複数ハート)]

 あまり歌が下手だと馬鹿にされるから大変でした。

 これに対して、女性の方はイエスかノーの返事を、やはり歌に詠んで返しました。

 この結果、恋愛が成立すると、男性は女性のもとに通い、やがて、結婚となりました。[揺れるハート]

 結婚後も、同じ家には住まず、男性(夫)は夜くらくなってから女性(妻)の所へ行き、朝暗いうちに帰っていきました。

 家に帰ってきた男性は、すぐ、歌を作って送らなければなりませんでした。

 これが、男性のエチケットだったのです。

 上記の説明なら、子供でも、「通い婚」を、理解できますね!フムフム。[わーい(嬉しい顔)][手(チョキ)]





 

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火伏せ [食べ物]

 「よをこめて とりのそらねは はかるとも よにあふさかの せきはゆるさじ」(清少納言)


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 「あなたは、たとい猛嘗君(もうしょうくん)の故事に習って、夜のまだ明けないうちに、にわとりの鳴き声をまねて、騙そうとしても、中国の函谷関(かんこくかん)とは違って、あなたとわたしの間にはある関は通しません。」

 清少納言の生没年も不明なんですね!

 清原元輔(きよはらもとすけ)の娘で、幼い頃から父に和歌や漢文を学んだ才女です。[ひらめき]

 一条天皇の皇后定子(こうごうていし)につかえていた頃、中宮での出来事や季節の移り変わりなどを鋭く観察して、随筆「枕草子」を書いたのだそうです。


 こんな感じです・・・

 清少納言は、和歌や随筆の才能があるばかりではなく、中国の詩や文章にも詳しくて、男達もたじたじでした。

 女性達は、「清少納言様よ!相変わらず、お高くとまっているわねぇ~!」[パンチ]

 男性達は、「俺は、ああいう女は苦手だ!」[ふらふら]

        「さては、議論をして、やり込められましたかな?くくっ!」

 ある日、藤原行成が、清少納言の部屋に遊びににやってきました。

 清少納言は、「行成さまって学問がおありで字もお上手で素敵な方・・・。こんな方となら、朝までお話ししたいわ!」と思っていたようです。[ハートたち(複数ハート)]

 藤原成行、「お!いけない。今夜は宮中の物忌み(ものいみ)にこもらなくてはならなかった。清少納言どの、お邪魔しました。」

 清少納言、「つまらないこと!せっかくお話の合う方と出会えたのに・・・。」[もうやだ~(悲しい顔)]

 次の朝、行成から、手紙が届きました。

 「夕べは、もっと、ご一緒にいたかったのに、にわとりの声にせきたてられて、仕方なく帰りました。・・・・・」

 清少納言、「うそばっかり!にわとりなんて鳴いてなかったわっ!ぷんぷん!」

 ・・・「函谷関」・・・昔、中国に、こんな話があったと伝えられてます・・・

 斉(せい)の孟嘗君という人が、秦(しん)につかいに行って捕らえられましたが、首尾良く逃げ出し、夜中に函谷関という関所まで来ました。

 部下が、にわとりの鳴き真似をすると、門番は、朝かと思い門を開けたので、孟嘗君は、無事に帰ることができました。

 ・・・・・・・・・

 清少納言は、手紙に、・・・夕べ鳴いたというのは、函谷関のにわとりではございませんか?・・・
 
 そうすると、成行さまから、また、手紙が届きました。

 内容は、「私が聞いたのは、函谷関のにわとりではなくて恋しい人に逢うという逢坂の関のにわとりでした。」エヘッ!

 そこで、清少納言は、「そんな上手いこと言ったってダメよ!」プンプン![ちっ(怒った顔)]

 そう言いながら、清少納言が行成に送った歌が、この歌なんだそうです。

 やはり、清少納言さまには、かなわなかったのね!行成さま~!(笑)[あせあせ(飛び散る汗)]



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写真撮影のために [食べ物]

 「ありまやま ゐなのささはら かぜふけば いでそよひとを わすれやはする」(大弐三位)


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 「有馬山のふもとの猪名の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよとそよぐが、さあそれですよ、あなたこそよそよそしいのに、どうしてわたしがあなたを忘れましょうか。決して忘れはいたしません。」


 大弐三位(だいにのさんみ)は、生没年不明だそうです。[たらーっ(汗)]

 藤原賢子(ふじわらけんし)。

 紫式部の娘で、父は藤原宣孝(ふじわらのぶたか)です。

 正三位太宰大三位高階成章(たかしななりあき)と結婚したので、大弐三位などと呼ばれるのだそうです。

 母の死後、中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)につかえたそうです。

 「狭衣物語」(さごろもものがたり)の作者と言われているそうです。[ひらめき]


 第三句「風ふけば」までは、「そよ」にかかる序詞です。

 風が「そよ」とふく音を導き出す働きをしています。

 序詞という技法を使い、冷たくなった恋人への恨みを込めて詠んだ恋の歌なのだそうですよ![ふらふら]



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ボンシュール [食べ物]

 「たきのおとは たえてひさいく なりぬれど なこそながれて なほきこえけれ」(大納言公任)


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 「水が涸れたので、滝の音がしなくなってから、すでに長い年月が経ったけれども、その滝の名は後の世に流れ伝えられて今もなお世に知れ渡っていることだなぁ。」


 関白藤原頼忠の子で、正二位大納言にまでなった人だそうです。

 上流貴族の家に育ち、幼い頃から漢文、和歌、音楽の教育を受け、その頃の最高の知識人だったそうです。

 
 「和漢朗詠集」や「拾遺集」を、まとめた人と言われているそうです。


 「千載集」の詞書きに、「大覚寺に人々が集まり、古い滝を詠んだとき、公任が作った歌」とあるんだそうです。


 大覚寺は、京都の嵯峨に今もあるお寺で、もと嵯峨天皇の離宮で、この歌に詠まれた後に、「名古曽滝跡」(なこそのたき)の碑があるそうです。





 

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うろこや [食べ物]

 「わすれじの ゆくすゑまでは かたければ けふをかぎりの いのちともがな」(儀同三司母)


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 「いつまでも忘れまいとお誓いになったその遠い将来までは頼みがたいことですから、あなたの心変わりを見るよりは、いっそ幸福な今日が最後の命であってほしいものです。」


 従二位式部卿高階成忠(じゅにいしきぶきょうたかしなのなりただ)の娘で、名前は「貴子」。

 円融天皇(えんゆうてんのう)につかえ、その後、関白藤原道隆と結婚し、儀同三司(大臣と同じ格式)伊周(これちか)・太宰帥隆家(だざいのそちたかいえ)・一条天皇の皇后定子(こうごうていし)を産んだのだそうです。

 和歌や漢文に優れ、高内侍(こうのないし)と呼ばれたそうです。


 こんな感じですぅ~・・・[ひらめき]

 貴子は、道隆と結婚する前、女房として、円融天皇に仕えていた時、道隆に恋文をいただいたのだそうです。[揺れるハート]

 そして・・・

 「あなたを、一生離さないよ・・・。」[黒ハート]

 「お言葉、嬉しゅうございますぅ・・・。」[ぴかぴか(新しい)]

 「いつまでも忘れない」という道隆の言葉が嬉しくて、そのしあわせがいつまでも続くと思わないから、そのしあわせの思いそのままで、今日限りで死んでしまいたいという歌ができたのですね。

 そんなものですよね。

 しあわせすぎると、後は、落ちていくだけですから、少しくらい、小さな悩みがあった方がいいのかもしれませんよ![ひらめき]





 


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谷地男 [食べ物]

 「なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは いかにひさしき ものとかはしる」(右大将道綱母)


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 「あなたがお出でにならないのを嘆きながら、ただ一人寝て夜の明けるのを待っている間のいかに長いものであるかをご存じでしょうか。」


 伊勢守藤原倫寧(ともやす)の娘だそうです。

 摂政兼家と結婚し、道綱という子を産んだので、道綱の母と呼ばれていますが、名前は不明なんだそうです。[たらーっ(汗)]

 和歌ばかりでなく、文章も上手く、兼家との生活を書いた「蜻蛉日記」(かげろうにっき)が有名です![ひらめき]

 
 摂政兼家には、大勢の恋人がいたので、めったに道綱の母を訪ねて来なかったそうです。[もうやだ~(悲しい顔)]

 ある日、摂政兼家が訪ねて来たのに・・・門を開けず・・・。[あせあせ(飛び散る汗)]

 次の日、この歌が書かれた恨みの手紙が、摂政兼家の元に届いたのだそうです。[ちっ(怒った顔)]

 ちっとも訪ねて来てくれない夫に、歌で抗議したのですね。[むかっ(怒り)]





 

 

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鮎焼き [食べ物]

 「かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもひを」(藤原實方朝臣)


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 「こんなにまであなたのことを思っているということさえ、私はうちあけて言うことができずにいるのですから、まして伊吹山のさしも草ではないが、こんなに燃えさかっている私の思いをあなたは、よもやご存じないでしょうね。」


 左近中将でしたが、藤原行成と口論し、行成の冠を地にたたきつけたため、陸奥守(むつのかみ)に左遷されたそうです。[がく~(落胆した顔)][あせあせ(飛び散る汗)]

 清少納言は實方の恋人だったと言われているそうです。[黒ハート]


 この歌は、實方が若い頃、好きになった女性に、初めて愛を告白するために作った歌なんですって![ひらめき]

 「さしも草」とは、お灸に使うもぐさのこと。

 「もゆる思い」の「ひ」は、「火」の意味も含めているんですって!「あちっ!」[わーい(嬉しい顔)]







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りんご春巻き [食べ物]

 「やへむぐら しげれるやどの さびしきに ひとこそみえね あきはきにけり」(恵慶法師)


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 「幾重にも雑草の生い茂った宿が荒れて寂しいので、人は誰一人訪ねてこないけれど、秋だけは訪れて来たことだなぁ。」


 恵慶法師(えぎょうほうし)は、花山天皇の頃の人で、播磨国(兵庫県)の国分寺の僧でした。

 平兼盛・源重之らと親しく、当時の歌壇の中心的歌人で、自然を詠むのが得意だったということです。[わーい(嬉しい顔)][手(チョキ)]


 この歌は、京都の六条、加茂川の東にあった河原院で詠んだ歌なんだそうです。

 河原院は、源融(みなもとのとおる)の別荘だったそうな。

 その頃は、恵慶法師の親友の安法法師(あんぽうほうし)が住んでいて、仲間の文人や歌人が、いつも、集まって来ていたそうです。

 その日も、恵慶法師は、仲間を訪ねて来たのでしょう。[ひらめき]





 

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千歳山の玉こんにゃく [食べ物]

 「たれをかも しるひとにせむ たかさごの まつもむかしの ともならなくに」(藤原興風)


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 「誰をまあ知り合いとしようか。高砂の松のほかにわたしのように年を取った者はもういないが、その高砂の松も昔なじみではないことだから。」


 藤原興風(ふじわらのおきかぜ)は、平安時代初期の人で、身分の低い地方官僚でしたが、歌人としては有名なのだそうです。

 日本で一番古い歌論の本「歌経標識」の著者、藤原浜成のひ孫にあたるのだそうです。

 また、管弦の道に優れ、琴の名人としても知られているそうです。


 この歌は、老いの孤独を嘆いて詠んだ歌で、長生きをすることは、喜びと同時に、寂しいことであると興風は言っているのですね。

 かぐや姫のおじいさんとおばあさん、30代なんだと聞きました。[パンチ]

 「うっそ~!」ですよねぇ。

 今では、働き盛りで、若者の部類ですよね![グッド(上向き矢印)]

 そのことを考えると、興風さん、何歳の時の歌なんでしょうね。生没年不明と書かれてます。






 

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車窓からですけど・・・。 [食べ物]

 「あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき」(坂上是則)


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 「夜明け方、有明の月が照らしているのかと思うくらいに、吉野の里に一面降っている白雪よ。」


 坂上是則(さかのうえのこれのり)は、平安初期の人。

 蝦夷平定(えぞへいてい)で知られる坂上田村磨(さかのうえのたむらまろ)の四代目の孫と言われるそうです。

 下級官人でしたが、歌人としては優れた才能があり、蹴鞠(けまり)の名手だったと言われているそうです。[るんるん]

 この歌は、古今集に載っており、大和国(奈良県)に出かけたとき、雪の降っていたのを見て作った歌という詞書(ことばがき)が付いているそうです。

 吉野は、昔から桜の名所として知られていますが、このとき、是則が見たのは桜ではなくて雪だったわけです。[雪]


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冷しラーメン [食べ物]

 「ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし」(壬生忠岑)


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 「有明の月が、夜が明けても知らぬ顔で空に残っているように、あなたが冷たい態度を示したあのときの別れ以来、暁ぐらい辛いものはありません。」


 壬生忠岑(みぶのただみね)は、九世紀後半から十世紀前半頃の人なのだそうです。

 身分の低い役人でしたが、優れた歌人として知られ、古今集の撰者の一人なのだそうです。

 「寛平御時后宮歌合」(かんぴょうおんときのきさいのみやうたあわせ)などの歌合の作者としても活躍、「忠岑十体」という歌論集を残しているそうです。


 こんな感じ・・・[たらーっ(汗)]

 「いつまでもこうしていたいのだが・・・夜も明ける・・・近いうちにまた来るよ。」

 「忠岑さま・・・お許しください。もう、お会いできません・・・。」[失恋]

 のちに、忠岑が知ったのは、女性は父の言いつけで、他の男性と結婚し、地方へ下って行ったということでしたとさ・・・。

 切ないお話ですねぇ・・・。[もうやだ~(悲しい顔)]


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次年子そば [食べ物]

 「やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもへば」(源宗于朝臣)


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 「山里は冬がとりわけ寂しさが身にしみて感じるなぁ。訪ねてきてくれる人も絶え、草も枯れてしまうと思うと・・・。」


 源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)は、光孝天皇のお孫さん。

 臣籍(しんせき)にくだって源の姓になったのだそうです。

 官職には恵まれず、正四位下右京大夫(しょうしいげうきょうのだいふ)に終わり、そのことを嘆いた歌もつくっているようです。

 「寛平御時后宮歌合」(かんぴょうのおんときのきさいのみやうたあわせ)の作者で、「古今集」に十五首の歌が残っているそうです。


 「出世の望みもないわたしには、こんな山里の暮らしがあっている・・・。」

 「それにしても、山里の冬は都で考えていたよりもずっとさびしいよ・・・。」

 「都に通じるあの道を今日あたり都から誰か訪ねてきてくれたらなぁ・・・。」

 「雪か・・・。これでは、誰も訪ねては来まい・・・。」

 
 今の時代、いくら才能のある人でも、なかなか、表に出られない人が沢山いますよね。[もうやだ~(悲しい顔)]

 日本にとっても、「宝の持ちくされ」で、本当にもったいないと思います。[パンチ]

 才能のある人が、活躍できる世の中になってほしいですよね![グッド(上向き矢印)]


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限定品 [食べ物]

 「ふくからに あきのくさきの しをるれば むべやまかぜを あらしといふらむ」(文屋康秀)


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 「山風が吹くと秋の草木がしおれるので、なるほど山から吹きおろす風を”嵐”と書き、”荒らし”というのだろう」


 文屋康秀(ふんやのやすひで)は、平安初期の人です。

 身分の低い役人で、山城(京都府)や三河(愛知県)の地方官を務めたそうです。

 三河に赴任する時、小野小町を誘った話は、有名なんだそうです。

 六歌仙の一人です。


 この歌には、文字遊び・言葉遊びとして、おもしろさがあるんですよ!

 山風という二つの文字を一つにすると、「嵐」という字になりますね!

 また、嵐は草木を荒らすので、「あらし」というわけで、これには、掛詞としてのおもしろさがあります。


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すももまで・・・! [食べ物]

 「いまこむと いひしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいでつるかな」(素性法師)


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 「今すぐ行こうとあなたが言って来たばっかりに、その言葉をあてにして、九月の長い夜を待っていたら、いつのまにか有明けの月が出る明け方になってしまいました。」


 僧正遍昭(そうじょうへんじょう)の子で、俗名は、良岑玄利(よしみねのはるとし)。

 清和天皇につかえていましたが、のち出家し歌人としてばかりでなく、書家としても優れ、宇多天皇や醍醐天皇の信頼をうけていました。


 この時代の恋愛や結婚は、男性が女性の家に通って行くのが普通だったわけですから、この歌では、恋人を待っているのは女性ですね。

 ですから、この歌は、素性法師が女性の立場でよんだものということになります。

 女性は、約束を破った男を恨んでいる歌なんだそうです・・・。

 生き霊が・・・。その男性、大丈夫だったのかしらねぇ。 キャッ!こわっ!






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ひょう [食べ物]

 「わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ」(元良親王)


百人一首 3 011.jpg



 「このように思いわびて暮らしていると、今はもう身を捨てたのと同じことです。難波潟のみをつくしという言葉のように、いっそこの身を捨ててでも、お会いしたいと思います。」


 元良親王(もとよししんのう)は、陽成天皇(ようせいてんのう)の第一皇子。

 和歌が巧みで、情熱的な歌をつくる貴公子として知られているそうです。

 京極の御息所(みやすどころ)をはじめ、多くの女性たちと恋をし、恋の歌をやりとりしていたようです。[ハートたち(複数ハート)]

 「大和物語」などに親王の逸話が伝わっているそうです。


 こんな感じだそうですよ・・・。[ひらめき]

 後宮で、元良親王が、京極の御息所さまを見かけて・・・。

 「噂には聞いていたが、これほど美しい方だとは・・・。」 ドキドキ・・・[揺れるハート]

 京極の御息所さまは、宇多天皇(うだてんのう)の后でした。

 その后に恋してしまって、いてもたってもいられなくなり・・・[あせあせ(飛び散る汗)]

 どうか、一度、会ってください・・・そんな内容の文を出して・・・

 ・・・・・[黒ハート]

 「御息所さま、お会いしとうございました・・・。」

 「元良どの・・・わたくしも・・・。」 

 どういういきさつで、御息所さまも、元良親王のことを好きになってしまったのでしょうねぇ。

 (参考にしている本に書いてあるんですもん。まぁ、子供向きの本ですから悪しからず)

 后の部屋から元良親王が出てきたのを、宇多天皇が見つけてしまい!

 「なんということを!・・・許せぬ!」[ちっ(怒った顔)]

 二人の愛は、宇多天皇に寄って引き裂かれてしまったそうです。(当たり前と言えば当たり前か・・・)

 その苦しさからできたのが、この歌のようですよ。

 「何とかして、もう一度お会いしたい・・・たとえ、この身が滅びようとも・・・」

 
 多くの女性と恋したんですよね。

 と言うことは、その都度、こんな感じの歌を作っていたのでしょうね。[たらーっ(汗)]






 


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